雑記

少なくとも浮世で生きるには多少の狂気が必要であるように思われる。
狂気とは自我が現世とは離れた、しかし主体としては繋がった、それらがどこかに在る状態とでも言えるだろうか。
各個人が多種多様な俗世のなかにいるが、私は以前より内側に進み続け、外側と乖離していくのを肌で感じている。
世界の複雑さを紐解いて自身のパズルに嵌めるより、複雑さそのものに注視して様々な形を嵌める方が、正しく認識するということに於いては適したやり方のように思える。
抽象を既存の何かに置き換えて推測→結論に至ることは生物の得意分野だろう。


そういったことばかり考えているせいで、フィジカルに纏わる事柄(つまり一般的な生活全般の話題)が枯渇しており、話すことが何もない。
そうでなくとも、誰かの生活リズムに巻き込まれなければ私は生活に対する主体性がどこにもないまま時間を過ごしてしまう。
たとえば食事の時間がある程度決まっていることで私の中に決まった時間軸が存在するように。
社会や組織から離れたら、一般的に当たり前とも言えるようなわずかな変化を軸にしなければならない。
私自身で時間を管理することは難しく、相対的に私の一日は長かったり短かったりするのだ。
日々穏やかさの中で命を浪費し続けているように見える主体性のなさ、しかし無駄とは美しいものだ、本当に。


ただあるがままを捉えることに集中してみる。
私はかなり厭世的な人間だが、それらの感情も結局は私の主観に拠るところであって外側に因果はなく、自身が作った幻でしかないというわけだ。
そうやって、まどろみの中で凪いでいる


そういえば、旧ブログを掘り返して再利用することにしました。
トップのカラムの中にMEMOを追加したのですが、別に告知もいらない気がしてきました。
使いどころとしては、落書き投げたりなんだり、生存確認のようなものです。
それでは。