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差分なし。あとは雑記とか。存在感がある程度はあり、かつ乱雑な絵を描きたかった。
目線のせいで強すぎる気もする。
クリスタのアプデで色混ぜパレットが実装されたことにより、モノクロで描く理由が消失したのだが、まだ色々と検証中。(この絵は人物モノクロ、背景カラーで描画)
デジタル歴もそれなりに長いけれど、カラーサークルから色を探すことはできずじまいで諦めていたのだが、色を作れるなら探す必要もなくなったというわけ。
つまりクリスタは神。
雑記
私はアートではなくイラストレーションを描いている、なんてことは自明の理なのだが、であれば分かりやすく共感を持たせる絵を描かないことはイラストの道理に反しているような気がしないでもない。
もちろんイラストはすべてその役割を持つべきとは思わないのだが、であれば自分はどうしていくべきなのかと考えたりする。
イラストで食っていくメソッドは溢れていて、そこには他者の評価と承認が善とされているし、それ自体を否定はしないのだが、ではそれ以外にはなにが残されているのだろうかと考えていた。
とくに答えは出ていない。
写実的な絵を描いている分際ではあるが、写実的=上手いではないと思っている。
自身のコンセプトの中で合う技法を用いればいいし、絵に関しては結局好みが全てなのではなかろうか。
そういえば、現在の遠近法が体系的になったのはルネサンス期の前で、遠近法が確立されたがゆえにルネサンス芸術の奥行きは生まれたようだ。
それ以前のローマ芸術の絵画にある遠近感は近くのものを大きく、遠くのものを小さく描いているだけでパースの概念はないらしい。(目から鱗)
それを聞いて古の日本画を思い返していたのだが、画材の縛りと遠近法がない時代にはパースがめちゃくちゃで平面的な表現も絵としてありのまま受け入れられていたように思う。
つまり我々はすでに遠近法の知識があるのでパースの狂った絵を「そういう絵」として楽しむことが難しくなっているのではないか。
ある意味、遠近法という前提知識があるがために現代人の目のほうが狂っているともいえる。
そういうことがあり、自身の狭い視野を自覚した。

