雑記

メイドインアビス最新話、どれほど現在の絆が強くとも過去の感傷に当てられるとそれらは簡単に裏切られ、人は思い出に囚われるという図を見せられてるな、という感想。
そういう虚しさも人間関係の中にあり続ける。
大切なものが何なのか?は過去の思い出に引っ張られて現在の価値を見誤るのがヒトなのだろう。
レグは過去を忘却しているからこそ、リコを大切にする。
そういった対比に見える。


最近人と短時間ドローイングをやっている。
絵は結局ぱっと見の印象が大事なのだろうな、とずっと考えていた。
なにせ二倍の時間をかけた洋ナシもよく見れば完成度が違うのが分かるが、細部が見えるまで見てもらうには第一印象が目を引くものでなければならない。
それは「人に見てもらうための絵」を意識することなのだが、いい絵というのはおしなべてそうなのではないか?と思うと微妙な気持ちになってきた。
つまり目的は違うがゴールが同じなのでその部分がかなり苦しい。
私自身は、自分がいいと思う絵を自分の思うように描きたいだけで人に見てもらうことなどこれっぽっちも意識したくはないのだが、私自身も人なので見栄えのいいものは結局人と同じということになる。
助けてください、と人に愚痴り散らしたら元気になったのでもう大丈夫なのだが。


「一生のお願い」について考えていたメモが残っていたので書き散らしておく。
日本語圏では一生のお願いを人に願う時に一般的に主語が欠落するため「私の」なのか「あなたの」なのかが明確に言及されない。
英語だと"please, for once in your life."となるが、ここで注目したいのはyour lifeである。
つまりあなたの人生のうちで願うのは一度きりだ、というニュアンスが含まれると思われる。
私は日本文化で生きていて今まで下図のようなニュアンスで一生のお願いを解釈していた。
おねがいポイント=信用である。


しかし前述したように文化圏が異なれば、このような願いの形とも解釈できるのではないだろうか。


日本文化圏であっても下図のニュアンスで一生のお願いを消費している可能性はある。
この辺、日本語は解釈を他者に依存している、つまり不文律で済ませてしまうため内訳がブラックボックスだ。

しかし、おそらく共通するものがあり、それは自身の信用を担保にしていることだろう。
対人の場合、一生一度の願いでありもう願うことはないという誓約が課され、それを守り続ける限り何も失われない。
神に願う場合には、実体がないため神が叶えたことを証明できないのでポイントはバックされ続ける。
神仏には願い放題なのだ。
おわり。

いや、そう、言葉によって誓約が課されることを言霊とか言うんだろうけど、そういうことで言えば永遠を意味する言葉を人に対して簡単に使ってほしくないと思う。
ずっと、とかこれから先も、とか。
自身に誓えないような言葉を吐くべきじゃない。
永遠を誓えるのか考えれば、そんな言葉が自然に出てきてはだめだろう。
永遠の呪いをかけられた方はそれを対象から一生回収しなきゃいけないんだから。
まあ、こんなふうにめんどうくさく考えている人間に近寄らないのが一番いい。