日記

昨晩に人と雑談している中で、私がなぜ嗜虐趣味の絵を描いてるのかを問われて「……確かに」と感じた。
というのも、嗜虐的な構図を理解される文脈と思って描いていたので、そのコンテクストがない状態だとなぜ「そういう絵」を描いているのか分からないよね、と。
この認識の乖離には説明せずとも伝わる層がいて、そういった層の中にいたので、これに関しては全く気付かなかったというか、完全に寝耳に水だ。


たとえば女体自体がポルノ的象徴であることは周知の事実であり疑いの余地はないので、その上で胸や尻を強調する絵を描くことは説明がなくとも多くの人が分かる。
しかし女体がポルノ的象徴でない世界であれば、なぜ女体の胸や尻を強調して表現する必要があるのか?と思うだろう。
それと同じことが起こった。
私にとって嗜虐趣味はポルノ的象徴であり、その文脈は共有せずとも理解されると無意識的に考えていたわけだ。
断っておくと、自身の傾倒した趣味嗜好は一般的ではなくアングラでやるべきことである、という認識はあり、その理由がポルノ的だからだ。
しかしそもそも論、そのポルノ的という認識の部分が大きく一般からズレていることは考えてもいなかったのだ。


それをコンマ数秒で理解した瞬間、言葉を失うほどの衝撃を受けた。
これを説明するには一体どうしたら?脳はオーバーフローし次の句が出ない、一体どこから説明すれば?完全に路頭に迷った。
苦し紛れに出たのは「かわいそうはかわいい」という、実に本質から外れた回答だった。
言い訳をさせてもらうと、その雑談が閉じた場ではなくオープンな場だったので、そう言うほかに最適解が見つからなかった、嗜虐趣味を嗜む紳士淑女の皆様、許してくれ。


これについて一晩考えたが、実際には私は説明をしていないのでどのように鑑賞するかは人に委ねている以上、解釈の多様性があるはずで、なぜ私が嗜虐趣味の絵を描くのかは私にしかわからない事柄ではある。
「かわいそうはかわいい」は私が最大限考慮した「一般的に理解可能である」と考えて出た言葉であり、そしてその感情があることも事実だ。(語源からして可愛いと可哀想は近しい感情マップに位置しているため)
しかしその感情の根幹部分に全く触れなかったのは、傾倒した趣味嗜好は基本的にキモいという不文律で共有されているので、理解できると思う。
嗜虐趣味に劣情を抱くことがない層からすれば「なぜ?」と思うのは当然であり、共感できる部分がない=わからないなのはさもありなん。
この問いを投げかけた友人はありがたいことに私と絵を切り離して見ているため、フラットな目線でそこを突いてきたのだろうと推察できる。


いい機会なので自身がなぜ「そういう絵」を描くのかについても考えていたが…「すみません、つまりはエロティカなんですよ」ということでだいたい合ってる。
性欲とそれに並ぶ強い欲求に駆動されて「そういう絵」を描いてるし、見るのも好き。
嗜虐趣味で駆動される欲求の内訳は人により様々だろうし、私自身のそれについては説明義務がないので秘匿させていただくことにする。