雑記

絵に対する姿勢などが――それらを意識的に転換する暇もなく――体力的な限界に引っ張られて変わってきたように思う。
負の原動力で何かをやり続けることには限界がくるってだけの話なのだが、最近は正の原動力で何かをやり続けている。
自分が「楽しい」や「嬉しい」に駆動されて何を出せるのかは未だによく分かっていないのだが、いや、むしろ自分が楽しいと思うことしか残らなくなってきた。
同人でいえば解釈で殴り合うようなことも、解釈違いから左右どうこうで喧嘩することも、元気が余っているからできることだろう。
私自身、過去の原動力は怒りだったし、元気があれば怒り続けることができたが、今はそうではない。
適度に世の理不尽に怒りながら、それらを楽しむだけの余裕ができたように感じるので悪い変化ではないと思う。
一人でああでもないこうでもないと絵を描き続けているのはどうかしているが、どうかしてしまうほどに楽しいのだ。
明日世界が終わるとしても絵を描いているだろうし、ある意味、その狂気だけはこの先も変わらないような気がする。
しかし絵を描く動機は怒りだけではなく、そこには逃避や満たされなさも含まれるのだがそれらは体力を使わないのでまだ残り続けるだろう。
恥の多い人生だな。


負の原動力である怒りについては解釈の幅があり、個人によりそこには様々な負の感情が当てはまるのだろうけど、私の場合は生誕自体に対する怒りを指している。
ちなみにファウストのような「何もなければよかったのだ」という絶対的否定(反出生主義的否定)ではなく、ただ生まれる理不尽に対する原始的な憤怒である。
故に怒りをぶつける対象はない。
対象を定めないのは、特定の誰かやカテゴリに対して怒ることが長期的に見ると自身を停滞させ腐らせる要因になると考えているからだ。
短期的に見れば瞬間的な飛躍を見込めるのだが、程々にしたほうがいいだろう。

若かりし頃は例外なく誰しもが怒れる人だっただろうが、残念ながら生まれてしまった以上、苦痛の中にしか喜びはないのだ諸君。
ということは程々に肩の力を抜いて脱力しながらレジリエンスを高めていくと多少人生がマシになるかもしれない。(し、そうならないかもしれない、知らんけど)




現twitterに対する見解は特にないです、としか言えないけど一応なにか書いておくか。
今は基盤を整えている時期で何も見えてこないが、イロマスPが収益化について言及しているのでインフルエンサーやクリエイターにとっては良くなるかもしれない。
が、そうなれば資本競争に巻き込まれるのでtwitter自体が社会の縮図になるような気がしている。
twitterデモクラシーをイロマスPに任せられるのかは疑問なので、早々に抜けておいてよかったと思ってる。
少なくとも、自分と周りが使っている範囲(二次創作)ではうまみがないので大して変化はないと思う。
私はtwitterに期待することもなく利用ユーザとの反りも合わないので、変わらずただのフロントとして使う以外に方法を見いだせない。