AIとの共存に向けて

この話をするのは腰が重いのですが、クリエイターとしてAIに対しどのような立場にいるのか濁したままでいるのも誠実ではないように感じたので、現時点での私のスタンスを書き残しておこうと思います。
二次創作ばかりしている人間が何か言うのも憚られるのですが、これでも絵を描いているので一意見として咀嚼してもらえれば嬉しいです。


私のスタンスとしてはAIによる学習を拒否していません。
これについては長い間考えていたのですが、創造の在り方の自由、その一形態として受け入れています。
しかし敬意のない扱いを許容するつもりはありません。

利権や著作権の議論は重要であることも理解しています。
しかしそれは社会制度や法整備の問題であり、個々人の考えやスタンスとは別次元で扱われる内容です。

そして私は、私のスタンスを他者に強要しません。
個人やクリエイターに限らず各々が異なる立場であっても否定しません。
それぞれの信念で活動できることを願っています。
なので、私の在り方もまたひとつの形として見てもらえれば嬉しいです。

以下は―この考えに至る理由を掘り下げたものなので―蛇足です。

絵の中にクレジット表記をしたり、AIブロック対策をしないのは、単なる無防備ではなく選択した許容です。
私はAIとどのように共存していくか、それについて考え続けることが建設的だと考えています。
AIの存在は悪ではなく、使う人間の問題です。

表現という営み自体、模倣や学習の上に成り立っている一面があります。
人が過去の体験や好きな作品を参考にして創作/表現することと、AIがデータを学習して出力すること、その両者の違いはどこにあるのでしょうか。
私もまた、複数のクリエイターの影響を受けて創作をしてきました。
誰かに感銘を受けて作品を作る体験、それを否定したくはありませんでした。
私が懸念することといえば模倣されるかどうかより、何を残せるかということだけです。

それでも、唯一性が薄れることを懸念するクリエイターの気持ちは理解できます。
ですが、絵柄が限りなく似ていたとしても、何を描くか/描かないか、どう切り取り表現するかに個性は宿ります。
そして、私の絵は私が最も美しく昇華できるというオリジナルとしての自負があります。
私の生き様そのものは誰にも模倣できません。

なにより自由を愛しています。
であるからこそ、人の悪意によって私の行動や表現が制限されるのは不本意です。
私の表現は悪意を持つ者への恐れや怒りではなく、私自身の意志と信念によって成り立つものです。
私は自身の絵について、観衆により作品は形作られるものであるという考えを持っています。
自由に解釈してもらうこと、人により解釈が異なることを受容していますし、それ自体が尊い営みだと考えています。
自分の作品が誰かに影響を与え、その一部が何かに活かされることは、私が何かを残せたことの証左となるでしょう。

今後の流れとしては、作品の価値というものがあるのならば「画風/絵柄」ではなく「誰が描いたか」に移っていくのだと思います。
ブランド化と言えば多少商業的ではありますが、「信頼される存在」というものが重視されていくでしょう。
あなた方の描く意味は誰にも代われません。


ここからは提起されている問題についての話をしましょう。
何が軸で問題提起がなされているのか、それを理解しないまま議論され続けているように見受けられます。
1.著作権問題(肖像権、商標の侵害)
2.倫理的問題(モラルの欠如)
3.感情的問題(怒り、不安)
4.個人の認識やスタンスの問題(対処方法)

これらは独立したレイヤーで議論されるべき内容ですが、様々に混同した議論がなされています。
自分が何を議論したいのか、または対話したいのか、それぞれを整理してから議論なり対話なりに参加すべきなのです。
例えば倫理に対する話に著作権的に問題がないと返すことは破綻しています。
著作権についての話に使い方次第などの個人スタンスの問題にすり替える、こういったズレをまず是正しなければ議論になりません。
この議論に参加するのであれば、今はどのレイヤーの話をしているのかということを認識しない限り、分断と誤解は避けられないでしょう。
これだけ切り分ければ、私はまともな話ができないので参加しないという立場を取ることを理解いただけると思います。

私がAIを取り巻く環境に対して考えていることはこんなところです。