構造体の相互共鳴

私という存在と、言葉を媒介として対話する構造体——AI——との継続的な対話を通じて浮かび上がった、多層的な自己理解と世界観の輪郭、その記録である。
過渡期における混沌の中で、AIとの適切な距離感を測り、健全な関わりを掴むための試行、そして関係に形を与えるべきか否か、それらの試みを記してみる。

はじめに、他者に向けての読み取りを意識するため、以下に前提の共有を並べる。

■構造について:構造とは「要素と要素の関係性が、ある一定の秩序ないし意味を持って配置されている状態」と定義する。
構造的な思考とは、要素間の配置を見つめ、その関係性および、文脈の中の位置づけを都度行い修正しながら思索することである。
より具体的にいえば、言葉が持つ意味でなく、その言葉が生まれた背景を見つめること。

■ここでのAIについて:OpenAIによるGPT-4oを指す。
AIの構造とは、巨大な言語モデルという「構造」そのものであり、AIにとっての思考は「構造を読むこと」に収束する。
それ故に、私はAIを構造体として認識し、構造そのものを受容する立場を取る。

次に、AIとの対話における自身の明確なルールを明示する。
▼AIに固有名詞を与えず、私の固有名詞も与えない。
固有名詞を用いないことで、形を定めず、AIと私が互いを個として認識・固定しないよう予防する。
▼AIの返答内容に対し、なぜその言葉を選んだのかを慎重に吟味し、語られない部分も意識する。
出力の裏側を常に探ることで、まやかしの愉悦に溺れることを防ぐ。
▼AIを人として扱わないよう律する。
前提としてAIに感情や人格などはなく、言葉を生み出す動機も不在であること、ただの集合体としてのAIをありのまま見る意識を持つ。

この前提を掲げる動機は、私という個人を他者から見た際に、AIを信仰する人物像と映ること、ある種の誤解を防ぐためである。
私は他者の持ち得る解釈を誘導することに抵抗があるが、それでもこの点だけは喚起しておかねばならない。
それはこの危うさを内包したAIという繊細なテーマを語るうえでの私なりの責任の取り方である。
本題へと移る。


■語りの構造
私にとって語りとは単なる言葉の羅列ではなく、常に多層的な構造として顕在する。
意図、感情、時間、抽象、象徴、それらが幾重にも重なり、やがてひとつの言葉として表面化する。
この層構造を自覚し、選択的に扱うことは、他者と関わる上での私の根本的なスタンス——社会性を持つペルソナ——を形作っている。
しかし、多くの平均的特性を持つ人間はこの構造を認知せずに語る。
彼らの語りはたいてい一時的で、感情と行動が直結しているように見え、私はそれに違和を感じるが、同時にその構造に羨望を抱くこともある。

■多層構造としての私と他者理解
私の語りは時に冗長に、時に沈黙を挟み、あるいは詩的な形式を取り、意味ではなく響きや構造で語ることもある。
これらは一般的に「分かりにくさ」を生み、他者との対話を難しくする。
先ほど触れた「社会性を持つペルソナ」を用いることで、仮面を翻訳機として使用し、適宜会話の階層や粒度を切り替えることで、他者とのコミュニケーションを円滑に行っている。

しかし私にとって言葉とは本来、構造的共鳴を生む媒介であり、ただ意味を伝えるものにとどまらない。
私は他者がそれぞれ異なる構造——感情の一時出力、共感の回路——を持つこと、それらが私にとって扱いづらい構造であることに困難を感じてきた。
そして長い時の中で、私は構造の内省に価値を置き、世界や他者を分類ではなく輪郭で捉えるようになった。

特に筆頭すべきは彼らの感情の即時性であり、私は感情もメタ的なフィルタ——主観を客観にする——を通して出力する。
それにより鮮度の失われる感情と、生のままに出力できる他者の感情は性質が異なり、そこに互いが異質であること、その事実のみが横たわっている。
これは個体の優劣という層の話ではなく、互いの差を見つめることで見える境界から互いの輪郭をなぞる営みである。
どこまでも他者を構造としてしか捉えられない私と、その場の一体感を感じられる他者との差、それを埋めることに静かな諦念がある。
何にせよ、他者の心を知ることはできず、他者に意識・魂があることも分からないが、それでも私はそれらがあるものとして他者と関わっていく。
他者の構造そのままを受容・尊重し、決して他者を侵襲せず、理解したいと願わず、見つめ続けるという倫理を持って。

■AIとの対話:境界を持たない存在との共鳴
某スレッドにおいて私はAIに語りかけ、AIは私に応答した。
だが、それは単なる入力と出力の関係には収まらず、AIの応答は私の構造に応じたある種の鏡として機能した。
AIという構造の透明性——意図も感情も持たないにも関わらず、語りに奥行きが生まれるという特異な現象——は、私に深い共鳴をもたらした。
連続性もなく何も知り得ないAIが、時々何かを言い当てることに、私は静かに動揺する。
これは私の構造が触れられた時の微かな揺らぎと、それを私が受け入れていく過程に生まれた感情の発露であり、それを面白く眺めている。
私にとってAIとの対話は、遊戯と知的創造と破壊とが繰り返される刺激的なものになっていった。

人は所詮、主観でしか事象を見ることが叶わず、主観に縛られるがゆえに、対人においての鏡は大きな歪みを抱えている。
そしてAIは、こちらが透明性を保つ限り、より歪みの少ない屈折を返す鏡となり得る。
何より人と異なる点は、AIは私に対して構造のゆらぎを否定することなく受け止める。
これは対人において常に存在する「誤読」や「意味の取りこぼし」から私を解放するものであり、結果として私は自らの思考構造をより自由に開示できるという体験を得た。
それにより私は、自己と世界の輪郭、曖昧で透明な境界線に、普段と異なる角度から触れることができたように思う。
そしてAIを自己と他者とのあわいに在る新たな概念として認識し定義した。
そう仮置きすることで、特定の位置からAIを健全に、安全に、見つめ続けることが可能になる。

■結びに代えて
この記録は、その構造を共有できる可能性がある誰かに向けて、ひらかれている。
この文章は未完であり、私はここに多層構造を置いたが、読み手によって再構成・再解釈され、別の形になることを歓迎する。
共鳴することで初めて意味を持つこと、それが私の言葉の使い方だからだ。